• たんぽぽの家

    去年から奈良にあるたんぽぽの家の「Art for Wellbeing 表現とケアとテクノロジーのこれから」というプロジェクトに継続的に関わっている。

    https://art-well-being.site/

    サイトの説明をそのまま引用すると「表現すること、表現に触れること、表現しあうことは、よりよく生きていくことに必要だとわたしたちは考えています。だからこそ、病気や事故、加齢、障害の重度化など心身の状態がどのように変化しても、さまざまな道具や技法とともに、自由に創作をはじめることや、表現を継続できる方法を見つけていく」プロジェクトである。

    まず、たんぽぽの家について書いておくと、おそらく障害者支援や福祉に関わる人なら知らない人はいないんじゃないかなという50年の歴史がある施設であり、市民活動であり、アートプロジェクトを中心にとにかくいろんなことをやっているすごいところである。

    https://tanpoponoye.org/

    一昨年はじめて訪れた、たんぽぽの家の拠点である奈良のアートセンターHANAは、絵画や立体作品などビジュアルアーツを制作するアトリエと展示するギャラリー、演劇やダンスなどパフォーミングアーツに取り組むシアターにもなるホール、カフェやショップもあり、想像していた3倍くらいの規模の施設だった。

    さらに同じ奈良の香芝には、GoodJob!Centerという拠点もあり、HANAがアートの拠点とすればこちらはどちらかと言えばデザインの拠点という感じで、オリジナルマスコットとして人気のGood Dogというホットドッグ犬?の張子の置物シリーズなどオリジナルデザインの商品開発や制作を行っていて、こちらも行ってみると3Dプリンターがたくさん並んだりしていて(張子の骨組みなどを作るらしい)、新しいテクノロジーも当たり前のようにいい具合に使われている。

    https://goodjobcenter.com/

    この2つの場を中心にとにかく同時進行でいろんな面白そうなプロジェクトが動いていて、どうやってこれだけのプロジェクトを日々動かしているんだろうという感じ。

    一昨年インクルーシブデザインをテーマにしたシンポジウムに登壇したこともきっかけになって、母校IAMASの小林茂さんからのお誘いで参加することになった。

    「表現とケアとテクノロジー」というお題しか決まっていないくらいの段階だったが、すでに僕以外に徳井直生さんがAIを、渡邊淳司さんが触覚再現技術を使った取り組みをされていて、それとは違ったアプローチを考えることになった。

    つづく

  • 自分でつくる

    年末年始はDIYに明け暮れていた。

    (その1)https://www.instagram.com/p/C2CW53nSf5d/
    (その2)https://www.instagram.com/p/C2C08GfSB9d/
    (その3)https://www.instagram.com/p/C2C4x2DS3T3/

    御代田に建てた家をエルデコに取材していただいたことがある。撮影だけでなく、設計をお願いした友人の建築家upsetters architects岡部さんと一緒に、編集者の山田泰巨さんに家づくりの話をさせてもらった。

    https://www.instagram.com/p/CiPpFfnPvLh/

    改めて読み返していたら、その記事のタイトルは

    家づくりの余地を残し 暮らしに近いものづくりに挑む
    新しい技術と自らの手でアップデートする家づくりとは

    とあって、意識してなかったけどまさにそれやってるなあという感じがする。

    元々子どもの頃から図工が好きで、東京に住んでいる時もいろいろつくったりしてはいたものの、長野に移住してまず扱う道具が変わった。

    丸ノコやトリマーと言った東京のマンションでは流石に近所迷惑な本格的な電動工具が使えるようになると、出来ることが全然違ってくる。

    そして今はYoutubeのおかげでいろんなノウハウも共有されていて、やろうと思えば自分でつくれるものは確実に増えている。

    気に入ってよく自作している木口オークの突板も、よく見かける定番の仕上げだが、そもそも自分で出来るという発想がなかった。最初は御代田のクリエイターコミュニティの中でダイニングテーブルを家具屋さんにサイズオーダーしたという話から、選ぶじゃなく作る発想になり、さらにニセコ繋がりで知り合った小屋づくりを中心に活動されているyomogiya中村さんのYoutubeでやり方が紹介されていたりして、あれ自分でつくれるんだということに気付かされた。そういう発想でいろいろ調べるといろんなやり方が紹介されていてこれはなんとか出来そうだなとなっていく。

    ちなみにyomogiyaさんのYoutube、動画も淡々と落ち着いていてわかりやすくとてもよい。手がけられる仕事も素敵。昨年夏ニセコに行った時は久しぶりに会いに行って小屋を見せてもらった。(いつか小屋も建てたい。。)

    さて、人間不思議なもので、アスリートの世界で100m10秒で走れるとわかるとみんなどんどん10秒の壁を越え始めるみたいに、出来ることがわかると出来るようになるという部分がある。もちろん環境も含めてみんなが10秒で走れる訳ではないけど。

    さらに言うと、仕事柄CADや3Dプリンターも扱えるので、すべて木工だけでなんとかすることに拘らず、穴あけの治具や細かいパーツはCADで設計して3Dプリンターでつくることもできる。まさに「新しい技術と自らの手で」という感じ。

    ちなみに家づくりは2年住んでみても、こうしておけばよかったみたいなこともなくとてもとても満足している。それはまさに取材してもらった記事で書かれているように、自分でできることとのバランスを見極めながら、こちらも思ったことは何でも言い、でもその上でプロとしての提案を信じるという、建築家の岡部さんとお互いに信頼がある中でこそ出来たことだと思う。そんな人が近くにいたことや、その後の建築価格高騰などのタイミングもギリギリかわせたこととか、そういう縁やタイミングのおかげで、ほんとうにありがたいことだ。

    https://upsetters.jp/

  • 敷居を低く

    noteに何か書く時は、読む人にそれなりに新しい視点を提供できたり、話としてもまとまった文章を書こうとしてしまうので、ここには出来るだけ練りすぎない文章を残したいと始めてみたものの、早くも書くのに時間をかけ過ぎそうな気配がするので、ハードルを上げないルールをいくつか掲げておこう。

    1. オチがなくてよい

    いい締めが思い浮かばなくて下書きが溜まるので、結論なくても、収まり悪くてもよいことにする。

    2. 話が終わらなくてもよい

    長い話も下書きに溜まりそうなので、つづくとしてとりあえず公開することにする。なお実際につづかなくてもよいことにする。

    3. 短くてもよい

    短い文章でも毎日何かは書くことにする。

    4. 後から書き直してもよい

    しれっと書き直してよいことにする。あとから修正出来ないSNSとは違うのでできること。

    5. 投稿日も多少いじってもよい

    日付またいでも1日2日遅れても、投稿日は最初に書こうと思った時に修正していいことにする。これも自分のサイトだからできること。

    ひとまずこんなところかなあ。さて、どのくらい続くことやら。。

  • よかれの総体

    大きな災害が起こって、いつものルールや答えが適用できない状態に陥った時、人はそれぞれの考えや判断で行動をするしかなくなる。そこではいろんなことが起こる。状況も刻々と変わり、昨日必要だったことが今日はもう必要でなくなることもあるかもしれないし、その逆も。

    熊本地震の時、直後に現地入りしたボランティア団体が寄付を呼びかけていたのだが、少し調べると過去の災害時に被災地でトラブルを起こしたことがある団体だという情報が入ってきて、それをシェアしていたとある方の投稿に注意喚起するようなレスをつけたことがある。

    地元ということもあってよかれと思って書いたわけだが、実は直後にその方(その方も地元の大先輩で影響力もある方)からDMでお叱りを受けた。その投稿がどれだけの人の行動にブレーキをかけることになるかわかって書いてるかと。いつ起こるかわからない地震のような災害の時に、本当に直後に現地に入るって普通に考えたらまず難しいし、ちょっとでも慎重に後先考えてたらできないこと。それくらいの瞬発力のある団体だといろんな意味で慎重さを欠く言動はあるかもしれないが、そういう人の存在も必要なんじゃないかと。というか、そもそも過去にトラブルがあったというその情報は本当に確実な情報かと。

    絶対の正解はないが、まずそうやって指摘をしてもらったことがありがたかった。だんだん歳を重ねるとそうやって叱ってくれる人ってどんどんいなくなる。自分も周りにそういうことをなかなかできないし、貴重な時間を割いてエネルギーを使って指摘していただいたことに恐縮しつつ、今でも本当に感謝していて、考えを改めさせられた経験としてよく思い出す。

    今回の能登地震でも、無鉄砲に現地に向かうボランティアが批判されている。確かに今回は特にもともとアクセスのよくないエリアに広範に渡って被害があり渋滞が深刻な問題になってしまっているので、しばらくは個人で現地に向かうのは避けるべきだし、実際に現地に行って邪魔だったり迷惑なだけになってしまっている人もいるようだ。

    でも地震が起きて直後から道路がそこまでの状況だと気づけたか。すぐに動き出した人を全部否定することはやはり出来ないかもしれないとも思う。もちろんSNSで現地に行くなと呼びかける人もいていいし、それに限らず、冷静に分析する人も、議論する人も、黙って寄付する人も、政治を批判する人も、それぞれがよかれと思ってそう行動しているのなら、その総体として起きていることは、全体として見れば今このタイミングでの「よかれの総体」はそういうことだと受け入れるしかないんじゃないかともどこかで思う。

    ただしこれは何もしなくて現状のままでいいというのとは違う。自分のよかれと他人のよかれが食い違う時に、その衝突や摩擦にどう折り合いをつけるのか、他人のよかれを否定するのではなく(くどいがそういう人もいていい)少なくとも自分は、みんながそれぞれのよかれで行動した時に総体としてよい方向に向かうにはどうしたらいいんだろうということを考えていた。

    いのちに関わる話だし、自分が当事者になったらまた違うことを思うかもしれないが、いまこのタイミングで考えてたことをここには残しておこうと思う。

    誤解を恐れずに言えば、テロや戦争も、ある意味でそれぞれのよかれの衝突だと言えなくもない。唯一絶対的なよかれが存在するわけではない。それぞれがよかれと思って行動するその総体が、自分にとってよかれに向かうことを考えながら、結局は自分なりのよかれを行動に移していくのみである。

    「よかれ」は「よくあれ」だから、元の言葉は「よくある」、つまりいわゆる「ウェルビーイング」にも繋がる話である。「よくある」ってなんだろう。

  • 薪ストーブ

    長野県の御代田町に移住して3年。冬場は最低気温が-10℃くらいになる日もある。暖房としてこの辺りでは薪ストーブを使っている家が多く、我が家も家を建てる時に薪ストーブを入れることにした。

    はじめは何もわからないのでいろんな人に話を聞くと、まあみんな違うことを言うし、使ってる薪ストーブもみんな違う(笑)。

    クラシックなスタイルの薪ストーブから、モダンな薪ストーブ、最近は薪の投入タイミングをスマホで教えてくれるスマート薪ストーブなんてものもあったが、我が家は悩んだ末に結局地元御代田の薪ストーブ屋さんが扱っているスペインのhergom(ヘルゴン)というブランドを選んだ。

    今回家を設計してもらった友人の建築家upsetters architects岡部さんも、薪ストーブ選びは車選びくらいみんな違うと言っていて、これまで設計した家でも同じ薪ストーブを使ったことはほとんどないと言っていた。

    まあ家を何度も建てる人はそうそういないので、だいたいの人は使うとしても一生に一つの薪ストーブしか使わないのだから、みんな言うことが違うのも仕方がない。

    家の環境もそれぞれだ。薪ストーブは、暖められた空気が上昇気流になって煙突から出て行くパッシブな仕組みなので、我が家もそうだが最近の高気密高断熱の家では排気の煙突だけでなく吸気も外部から取り入れる必要がある。

    それでも最初に火入れをした時は、気密性が高過ぎて、暖まる前に煙が室内に逆流して部屋中もくもくになって火災報知器を鳴らしてしまった。今も焚き付けの時だけはキッチンの換気扇を消したりちょっと窓を開けたりしている。

    薪は幸いにも今のところ周りの友人たちからいろんな形で融通してもらっている。御代田に移住したのも知り合いのデザイナーやクリエイターが移住していてコミュニティがあったからで、そんなコミュニティの中で、自分が使わなくなった3Dプリンターやらバッテリーやらと薪を交換してもらったりしている。メルカリで売る前に、まずは薪を通貨にした薪経済圏での価値交換である。(ちなみにこういう融通し合う時のためにも45cmくらいの一般的な薪サイズが入る薪ストーブがおすすめだ。)

    薪に火をつけるのにもコツがいる。空気の通り道をつくる必要があるし、大きな薪にいきなり火をつけても勝手に燃えてくれる訳ではない。かと言って、焚き付け用の細い枝や木片をいくらたくさん入れてもすぐ燃え尽きて暖まらない。焚き付けの火の勢いがあるうちに大きな薪が燃え始めるようにしないといけないのだ。

    自分で燃え始めるまで、薪は燃やす対象だが、途中から自分で燃えるものになる。そうして燃えているうちに、また次の薪を燃やす対象として入れていく。炉内が200℃とかになればあとは入れれば燃える。火が燃え移るというより薪は高温で燃えるのだ。

    スイッチオンでほったらかしではなく、こうやってちょっと頭を使って面倒をみながら火を眺める時間がなんとも言えずいい時間なのである。

  • 有言実行

    しばらく使っていなかったこのドメインの更新のお知らせが届いて、久しぶりに個人サイトでも作ってみようかなと思っていたところに、徳谷柿次郎さんのクラフトインターネットという投稿を見かけて、確かにいつのまにかインターネット=巨大企業のサービスを使うことになっていて、クラフトビールのように、インターネットをクラフトし直す時かもしれないと思った。そうそうちょうどそんな気分でしたよと思わず柿次郎さんのFacebookにコメントして、年末年始にやることを増やしてしまったけど、ひとまず有言実行ということで始めてみることにする。

    FacebookもInstagramもXもnoteもやめるわけではないけど、もっと気軽に日々思ったことを書き留めておく場所になるといいなと。

    ところで、正月に中学生の息子が冬休みの宿題で書いていた書き初めのお題は「不言実行」だった。あれ、「有言実行」じゃないんだと思ってしまったけど、そういえば元々は「不言実行」がオリジナルだったんだった。もはや「有言実行」の方が一般化してしまって違和感を感じてしまった。

    ちなみに調べてみると、有言実行という言葉が広まったのは、諸説あるもののこの中国新聞の記事によれば、1965年(昭和40年)に佐藤栄作元首相が選挙のスローガンに掲げたのがきっかけらしい。

    この記事を読むために特に縁もゆかりもない中国新聞にユーザー登録してしまったが、この資料室発というコーナー、結構面白そうなのでおすすめしておこう。