放し飼いの身体

驚くべき言語能力を獲得したAIが次に向かうのはおそらく実世界。言語だけでなく、視覚や聴覚の入出力も扱えるようになってきたAIは実世界と繋がっていこうとするだろう。その領域をやってきたロボットや自動運転といった分野がAIによってどう変わるのか。その前に、今ロボットや自動運転の技術はどうなっているのか。

そんなことを考えていた時に日本ロボット学会の気になるセミナーの案内を見つけて、どうせならと年会費を払って学会に入ってみることにした。そのセミナーも勉強になったのだが、その前に毎月送られてくる学会誌の、先日届いた最新号の特集『「文化」としてのロボット』の話。

雑誌『広告』の「文化」特集で文化とテクノロジーについて寄稿した身としては読まないわけにはいかない。たくさんの積読の本を差し置いて、つい手に取って読み始めた。

ジェンダー、ファッション、弱いロボット、人工生命、文学など、どのテーマも興味深いが、情報環世界でもご一緒した伊藤亜紗さんと物理リザバー計算の研究をされている中嶋浩平さんの「制御の外側で身体に出会うーロボットと障害」という対談がとても面白かったのでメモしておく。

ファンクショナルな身体とコンスティチューショナルな身体
思い通りにならないところにこそ身体の本質を見る
身体が「こうすればいい」を勝手に見出していく
できなかったことができるようになるには「体が先にゆく」必要がある
桑田真澄に30回同じように投げてもらうとリリースポイントは14cmもずれるがボールは毎回同じところにいく
唯一絶対の最適な投げ方があるわけではない
体を適当に放し飼いできる能力が重要
死んだ魚も流れに逆らってのぼっていく受動遊泳
モーターもセンサもないのに坂道を二足歩行で下っていくPassive Dynamic Walker
物理系をデザインして埋め込むと(エンボディメント)ロボットのボディにファンクションをアウトソースできる
自分の身体じゃないものを身体の一部にする
視覚障害者ランナーと伴奏者をつなぐロープ
コンスティチューショナルなレイヤーでの自発性
制御の外部に身体がいる
どもるAI
吃音の本人にとって言えるか言えないかは本人もわからないサイコロ状態
量子コンピュータは実体と演算が切れていない
量子コンピュータのノイズは量子コンピュータの身体
タコ腕が計算に使える物理リザバーコンピューティング
フィリピン沖に台風ができると大阪にいる患者さんの幻肢が痛み出す
障害の世界は「助けてあげる」「助けてもらう」能動と受動が強固になりがち
視覚障害者ランナーと伴奏者の関係は「共鳴」「引き込み合ってる」

日本ロボット学会誌 VOL.42 特集:「文化」としてのロボット

この組み合わせの対談を提案した亜紗さん流石だなあ。コンピューティングの世界の言葉と、身体的な世界の言葉がスリリングに交錯する対談だった。

最近ちらほら耳にして気になっていた物理リザバーコンピューティングについては、中嶋浩平さんのこの動画が(数式はすっ飛ばしても)面白かった。死んだ魚の受動遊泳やタコ脚コンピュータも出てくる。

普通、脳が計算して身体を制御していると考えがちだが、実は身体そのものも「計算」している。その時、身体や環境のやわらかさや複雑さが計算リソースやメモリになる。わたしたちは実はそうした制御の外にある「放し飼いの身体」とコンヴィヴィアルに生きている、と言えるのかもしれない。