ライフコスト

昨夜は御代田仲間の集まりに参加。風の新年会に居合わせたものの話せなかった人たちや、御代田や軽井沢周辺で間接的に繋がっているものの初めましての方々(Facebookの知り合いかも?にめちゃくちゃよく出てくる人たち)とも話してやっと繋がることができた。

話題はコモンズ的な話になった。コミュニティで道具や場や知見を共有する。そうやってライフコストを下げることで、ただ稼ぐために働くのではない暮らしはつくれないか。でも完全に資本主義から逃れることは出来ないからやっぱりある程度稼ぐ必要はある。ちょうどいい資本主義はどういうバランスか。資本主義を少しだけ手放すことはできるか。

移住する時にはやはりそういうことを考えた。東京の家賃を考えたら仮に収入が下がっても同じような生活はできるだろうとか。(別に仕事を辞めるわけではないが思考実験として。)

移住してみて実際にそう思うこともある。エネルギーとしての薪も、運ぶ手段とチェーンソーと斧があれば貯木場に行ったり身近な物々交換で手に入るし、食べるための米も自分でつくることが出来る(これはまだちゃんとは実現してない)。DIYで家具を作れば家具屋さんでオーダーメイドするより材料費は1/10だ。確かにライフコストは下げられそうな気がする。

ただ本当はこれをコストだけで考えてしまうのはちょっと違う気もする。お金をかけない分、手間と時間をかけている訳で、ライフコストを下げるというのは、言いたいことはとても共感するし、説明のためにはとてもわかりやすいものの、この考え方を突き詰めていくのもそれはそれでだんだんしんどくなるような気もする。「ライフコスト」という言い方は「生活費」というのとは(なんかかっこいいだけじゃなく)たぶん何か違うことを言おうとしていて、節約術みたいな話をしたい訳ではないはずだ。

薪を割ったり、米を作ったり、家具を作ったりすることそれ自体が面白いし、それ自体が生きている感じがする、というのは実感としてある。ただ、その感覚も、そのことだけにどれくらい時間と労力をとられるかで変わるだろうとも思う。

コモンズを成り立たせる経済的なバランス。でも、結局バランスだよね、で思考停止せず、「ちょうどいい」バランスにきちんと向き合っていきたいなと思った。その意味では、集まりに参加していた浅間コーラというクラフトコーラを作っている柳澤さんの作り過ぎない(そして地元でしか売らない)という話はとても興味深かった。

ビジネスとしては実際はいろいろ大変なことはあるんだろうとは思いつつ、やはり前提としてまず価値になる何かをつくり、つくったものとその対価としてのお金のやり取りを通して地域やコミュニティの外に開いていることが大事なポイントで、ただそれを広げ過ぎないことで資本主義とのバランスを取ろうとしているように感じた。つくらないコモンズは続いていくのがとても難しいのかもしれない。

そして、その集まりでも話したが、個人的にはこういうリアルなこと(地域のコモンズとか、ライフコストを下げる的なこととか)に、テクノロジーをどう使っていけるかにはとても興味がある。いわゆるシビックテックと言われるような領域にも関わる。ローカルな生活を成り立たせているインフラ、モビリティ、自治のDX、教育、、いろいろやってみたいことはあるが時間は有限で、今やっている仕事もとても面白いしやりがいもあり、とても全部は出来ない、、ということで結論はないが、少しずつ出来ることはやっていきたいとは思う。

たぶんつづく。