今日は小海町高原美術館で開催中の「ム―ミンの食卓とコンヴィヴィアル展」の学芸員ツアーに参加した。
実は『コンヴィヴィアル・テクノロジー』発売後すぐ、飯能のムーミンバレーパークで「コンヴィヴィアル」と題された展覧会が開催されると知って驚いたのを覚えている。
こんな聞き慣れない言葉をタイトルにして大丈夫だったかなという不安もあったので、あのムーミンが展覧会のタイトルに!と勇気づけられ、これは見に行かねばと思っていたものの、結局会期を逃し、その後も全国を巡回しているのは知りつつ遠くてなかなか行けずにいたのだが、なんとその最後の巡回展が(うちから車で1時間もかからない)小海町の高原美術館で開催されることになったのだ。
さらに、拙著を読んでいただいた「ほっちのロッヂ」の藤岡聡子さんから誘ってもらって、移住後に長野で知り合った人たちも一緒にタイミングよく学芸員ツアーに参加することができた。
展覧会は、決してインタラクティブな仕掛けや大きな作品があるようなものではないが、トーベ・ヤンソンによる原画はやはり見応えがあった。(巡回展の中でも一番原画の点数が多いらしい。)
さてさて、この展覧会では「コンヴィヴィアル」という言葉をどんな風に捉えているのだろう。
学芸員さんの説明によると、それを象徴するのが展覧会のキービジュアルの一つにもなっている「空飛ぶ食卓」の挿絵だという。
この挿絵は、ムーミンがその名を世界に知られるきっかけとなったムーミンシリーズ第3作「たのしいムーミン一家」の、こんなラストシーンを描いたものだという。
前作の旅の途中でムーミンと出会って親友になり、ムーミン谷で暮らしていたスナフキンだったが、冬が来る前に旅立っていってしまう。
スナフキンが旅立った後、ムーミンが残った仲間たちと食卓を囲むラストシーンで、願い事を一つ叶えてもらえることになったムーミンは、
この楽しい食卓をスナフキンのところへ運んであげてほしい、と願うー。
「コンヴィヴィアル」の「共に生きる」という意味には、今その場にいる人たちと「共に生きる」というだけでなく、旅立ってそこにいない人とも「共に生きる」という意味も含まれるのだ。
偶然にも、拙著の冒頭で「コンヴィヴィアル」という言葉の意味について引用した山本哲士氏の著書の一節は次のようなものだった。
たとえば、ラテンアメリカのある山村に、異質な人(他所からきた宣教師や神父)が訪れ、バナキュラーな暮らしをしている村人たちに役立つ「いい話」をしたとする、それがいままでなかった異質な話であるのに、村人たちの暮らしに役立つようなものであり、和気藹々とその時間がすごされたとき、「今日はとてもコンビビアルだった」という言い方をされる。他律的なものが、自律的なものに良い方向へ働いたということだ。現在の日常でも、それは使われている。
スペイン語では、現在でも日常語として生きている言葉だ。メキシコシティにある大きな公園、チャプルテペック公園は、「コンビビアル」と銘されている。子どもと大人たちが、楽しく過ごす場所である。他所の異質なもの、そしてある限られた時間、そして相反しているものが共存しえたとき、これがコンビビアルなものの要素である。
(山本哲士『イバン・イリイチ』より)
スナフキンもまさに他所からきた旅人であり、限られた時間を共にしてまた去っていく。人は常に出会いと旅立ちを繰り返しながら、それらをひっくるめて出会った人たちと共に生きていく。「コンヴィヴィアル」にはそんなニュアンスが含まれているのだと思う。
そして、それには死という旅立ちも含まれるだろう。わたしたちはもう会えない人たちとも「共に生きる」のだ。
そういえば、イリイチも過ごしたメキシコの「死者の日」は、とてもカラフルで賑やかなコンヴィヴィアルな感じがして…と、見終わったあとも話は尽きなかったが、この続きはきっと聡子さんがどこかでしてくれると期待して、この辺にしておこう。