表現とケアとテクノロジー

前回からの続き。表現とケアとテクノロジーのこれから。ゴールのある普段のクライアントワークと違って、まだわからないからこそ「これから」を探索するようなプロジェクトなので、あまりはじめに考え過ぎず、直感的に可能性を感じるテクノロジーを選んで、まずは何かやってみることからはじめることにした。

そこで選んだテクノロジーはVR。表現とケアとVRはどう結びつくか。これまでこうした障がいやケアの領域に関わったことがなかったのもあり、まずはたんぽぽの家のメンバーの皆さんからどんなリアクションがあるのか、まずは本格的に作り始める前に簡単なVRコンテンツを体験してもらうところから始めた。

まず何を体験してもらおうと考えてやってみたのは、たんぽぽの家の施設をiPhoneのLIDARを使って3Dスキャンして、VRの中で見て回れるコンテンツ。まずはヘッドセットつけても自分たちがいるよく知っている場所にいる。そこからバーチャルの世界に入っていくのがいいのかなと。

これは思った以上によかったというか、体験してもらった方のコメントで「怖くなかった」というのがあって。ジェットコースターとか高いところから落ちるとか、そういうのかと思ったと。確かに「VRならでは」的なコンテンツとしてテレビのレポーターがヘッドセットつけて絶叫してるみたいな絵は撮られがちかもしれなくて、そういうものではないというのを伝えられてよかったし、皆さん楽しんでもらえて、何か出来そうな感触が得られた。

と同時に思ったのは、「ケアとテクノロジー」という時に、テクノロジーがケアに何をもたらすかということを考えがちだけれども、逆にケアがテクノロジーに何をもたらすのかという視点が大事だなということ。

まず、まだまだVRは操作が難しい。去年はQuest2、今年はQuest3を使っているが、数年前からすればユーザー体験は格段に洗練されてスムーズになっているし、アクセシビリティも考慮されてはいるものの、やはりユーザーとして「健常者」が想定されている部分は多くある。コントローラはボタンやトリガーがたくさんついているし、バーチャル空間の中でメニューが現れてボタンを押して、といった操作も物理的な手がかりがないので繊細なコントロールが必要。ジェスチャー認識も手がうまく動かせないとなかなか認識してくれない。多様なユーザーに使ってもらうことで、テクノロジーの側ももっと可能性を広げることができると思う。

そして、たんぽぽの家のメンバーの皆さんはそれぞれ表現者でもあり、表現する行為がテクノロジーの可能性を開いてくれるのではないかとということもある。何かをデザインするとき、当然ユーザーのことを考えるけど、どうしても作る側はサービスを提供する側、ユーザーは使う側でありサービスを提供される側になる。今回も、気をつけないとたんぽぽの家の人たちのために何かを提供するという風に考えてしまいそうになるので、そうではなく一緒に何かをつくっていくパートナーとして、コラボレーションしたことで何か面白いものが生まれる、そんな関係性になるとよいと思った。

つづく