• ランドスケープ

    先週は北軽井沢TAKIVIVAオーサーレジデンス2026にカタリストとして参加させてもらった。今年は一週間、日替わりのカタリストセッション以外は決められた予定はなく、思い思いに日々を過ごすプログラムで、いろんな人とゆっくり話ができて今年も本当にいい時間だった。

    滞在中毎日眺めていた浅間山も、御代田の南麓からの表情と違って(というか自宅は浅間山に近すぎて家からは見えないのだが)新鮮で、北軽井沢一帯の、天明の大噴火によってつくられたランドスケープも御代田とはだいぶ印象が違う。

    オーサーレジデンスを主催するきたもっくさんは、キャンプ場SweetGrass、今回のようなイベントや研修合宿ができるTAKIVIVAなど、場づくりを行うフィールド事業と、薪炭づくりや製材を行う林業、養蜂や農業といった地域資源活用事業を軸に、まさに北軽井沢のランドスケープをベースにいろいろな事業を展開している。

    移住して感じる都市生活との大きな違いの一つは、こうしたランドスケープを身体で感じることかもしれないと思う。

    そういえば先日山を案内してもらった林業芸術社太田泰友さんたちの取り組みも、ランドスケープそのものに対峙する活動である。

    ランドスケープと言えば、拙著『コンヴィヴィアル・テクノロジー』でイリイチの「2つの分水嶺」という考え方を取り上げたが、「分水嶺」というのも本来ランドスケープの言葉で「2つの分水嶺」も本当は立体的な概念である。

    また、哲学者の平井靖史さんは「社会的ランドスケープ」という概念を提唱されていて、小林茂さんは『テクノロジーって何だろう?』の中でその概念を援用して、技術を目的のための中立な手段ではなく、集合的に構築されてきた社会的ランドスケープであると捉えている。

    技術は人間の様々な行動を可能にすると同時に制約もするランドスケープであり、そして〈技術者〉は、谷の深みを知りながらも、嶺を跨ぎ、越境しながらランドスケープに新たな変容をもたらす鍵になる存在なのだと。

    昨年話を聞くことができたオードリー・タンさんも、(記憶が正しければ)講演の中で「オピニオン・ランドスケープ」という表現をしていて、チームみらいもお手本にしているPol.isやvTaiwanの仕組みでは、オピニオンランドスケープに橋をかけるようなアイデアや意見が注目されるようなアルゴリズムになっていると言っていた。もちろん、この仕組みも完璧ではなくいろいろな疑問や懸念はあるが、意見をランドスケープとして見るメタ認知は大事なんじゃないかと思う。

    少なくとも、選挙で可視化される結果は、ランドスケープの中で重力によってそれぞれの谷に集まった水の量だけを見ているようなものだ。オピニオンランドスケープそのものは本当はもっと解像度が高く複雑なはずだが、受け皿となるべき谷がないと本当のランドスケープと投票結果は乖離もするだろう。

    ランドスケープは、立体的・空間的でありながら、どこかですべて繋がっていて分断していないところに希望がある。

    ランドスケープは、急には変わらないが、長い時間軸の中で変化していくし、変化させることができる。

  • リアルにしかないもの

    先週も大阪、東京、御代田と移動の日々。

    金曜日は、東京で先日トークイベントでもご一緒した井上岳一さんたちによる「山水郷のデザイン」展へ。

    行く前に「(最近井上さんが出演された)Podcastが面白かったです!」とメッセージを送りながら展覧会に着いたら、まさにそのPodcast「た行でつくるポートフォリオ」のREDD望月重太朗さんもいて話せたり、展示されていたMUJUNの小林新也さんにもお会いできたり。

    小林さんは、アムステルダムでブランドを立ち上げつつ地元で刃物職人の後継者育成の仕組みを作り、島根県温泉津(ゆのつ)では山を買ってたたら製鉄の実験や製材などもはじめている。

    他の展示も、沖縄の共同売店の話、高知土佐の東南アジアマーケットを通じた多文化共生の取り組み、どれも伝統工芸、林業、過疎、技能実習生、背後には今日本が直面するシビアな課題があるけれど、なんだか楽しそうでワクワクする取り組みだった。

    その夜はTakramメンバーで食事。ここでも政治や社会情勢の話からくだらない話まで、普段なかなかできない仕事以外の話が出来てよかった。

    土曜日は御代田に戻って、最近参加している「風の谷という希望」の読書会。

    御代田のコワーキングスペースゴカラボの有志企画でシリーズで開催されていて、中盤の具体的な実践に関わる章の読書会はまさにその領域で実践している人の話を現場で聞きながらやろうということで(それぞれ思い当たる人がいるのがすごい)、この日は「林業芸術社」を立ち上げ、山や森を自然と人間の調和する場にしていく取り組みを実践している太田泰友さんに現場を案内してもらいながら話を聞いた。これがなにしろ勉強になったし、面白かった。

    地形、植生、水の流れ、日の入り方、、いろんなことを緻密に考慮しながら、ゆっくり丁寧に道をひらく技術を、徳島や福井の師匠に師事しながら着実に身につけつつある太田さん。始めて数年で徐々に答え合わせも出来つつあり、やっていることが間違ってないと確信を持ちつつあるという。100年単位で人間と自然の調和を維持できる環境をつくるためには、その場限りではなく継続的な関わりが必要で、本当に凄いことをしてると思う。もちろん、いろいろとリアルな課題も聞いて、自分も林芸会員になってこれから何かいろいろ関わっていこうと思う。

    夜は家族で食事。自分の誕生日だけど、受験生の息子もテスト前なのでいつも通りに家で。いつもの食卓に改めて感謝。

    日曜日は、朝から地元の消防団仕事をしてから、午後はお台場のMaker Faireへ。久しぶりに来たけれど、思いかえせば実は万博「いのち動的平衡館」でLED基板の回路設計・製造実装を担当していただいたKPD加藤木さんとは、お台場で初開催された2012年のMaker Faireで知り合ったのがきっかけで、あの時の出会いがなければ実現していなかったかもしれないと思うと、本当に感慨深い。

    久しぶりのMaker Faireは、相変わらず企業ブースも個人ブースもいい意味でカオスで、ここでしか得られないものがあり、久しぶりの方々にも何人も会えた。今年実は田んぼに自作の水位水温センサーを作ってモニターしてみたのだが、それに使ったM5Stackという、その界隈ではよく知られるIoTプロトタイピングモジュールメーカーのCEO Jimmyさんとも繋がれた。深圳にも行ってみたい。(この話はまた改めて書こう。)


    ところで、この数日感じたのは、ほんとにますますみんなネットでは大事なことは何も言わなくなってるんじゃないかということ。少しでも賛否両論ありそうなことをネット上に書くハードルはどんどん高くなっていて、(もちろん気にせずに書く人も、とても気をつけて書く人もいるけど)直接行ったり会ったりしないと聞けないことがめちゃくちゃ増えてないかと。

    今年の誕生日を、いろんな人に会い、いろんな現場に行く日々の中で迎えることになったことはなんだかとても示唆的だなと思った。


    最後に、太田さんの話のメモ。メモなのでちょっと間違ってるかもしれないけど、山や森に対する解像度がめちゃくちゃ上がったというか、環世界ががらりと変わったというか、とにかく面白かったので。

    この山はスギやヒノキを木材として出荷する針葉樹林ではなく、薪炭林(しんたんりん)とよばれる里山の生活のための広葉樹林。薪や炭にするので昔は伐採も運搬もしやすい両手で掴めるくらいの太さになる20年ほどのサイクルで伐採していた。若いうちに切るのでまたそこからまた芽が出て木が成長する「更新」ができた。生活に薪や炭を使わなくなりそのサイクルが途絶えてしまった。

    山に入っていくための作業道の大事さ。水の流れを緻密に考えて、道をあえてカーブさせたりアップダウンさせたりしながらつくる。その場限りで安易に道を入れて一気に伐採するのは楽だが雨が降ると水が山肌を流れて道に流れ込み、道が削られて使えなくなるだけでなく土砂災害などにも繋がりかねない。

    ちょうどいい道幅。道幅を広げるために斜面を削りすぎると、削ったところが高い壁になり安定しないので崩れるかコンクリなどで固めることになる。軽トラが入れる幅2.5mほどの道を、幅の半分削ってその分を斜面下側に盛る「半切り半盛り」でつくると、削った側も木の根が残る。しかも草が生えにくい深土と栄養豊富な表土を道と道端で使い分けることで、道はあまり草が生えず通りやすく保たれ、道の両側は根が張って安定強化される。道幅が広すぎないことは、両側の木々が道に差す光や雨を遮り、草が生えたり雨が道が削ることを防ぐ天然のアーケードのような役割もしている、、etc.

    長い目で見ればとても合理的。ただ短期的な経済合理性だけを求めると「放置or安易な伐採」になる現実。

    「風の谷」本に書かれていることは概ね間違ってないと思うけど、自分はその先をやっている感じという太田さんがさらっと言った言葉が響いた。

  • 人類みな「今来た勢」

    今週は大阪→京都→徳島→東京と移動の一週間。
    徳島よかったなあ。神山行けなかったので次こそ行きたい。

    京都ではPodcast収録。収録後の雑談で教えてもらった話で、東浩紀さんがほぼ日の学校で糸井さんとの対談の中でこんな話をしていて。

    「自分はこのスレッドにいま来たんだけど、
    これまでの話を3行でまとめて」
    という行為を「今北産業」と言って、
    それをやる人たちを「今北勢」って言うんですけど。

    そして人類の問題って、
    「あちこちで、今北勢だらけ」ということなんですよ。
    人類の歴史は長く、すでにさまざまな英知が
    大量に蓄積されてるわけですけど、
    そこへ次から次へと「今北勢」がくるわけです。
    「わたし、いま来たから人類がいままで
    何やってきたのか教えて」とかって。

    ほんとそれなあと。
    所詮自分も「今来た勢」だという謙虚さをもって歴史に学びたい。

    その意味でもコテンラジオとかやはり意義深い実践の一つだと思う。(COTEN CREWとして応援してます。)

  • 「風の谷」という散逸構造

    久しぶりにnote更新。

    「風の谷」という散逸構造

    この本で安宅和人さんが提唱されている都市集中に対する「開疎化」が、エントロピー増大の法則と散逸構造の関係みたいだなと思いはじめ、、

    そこから万博で展示を担当させていただいた生命の「動的平衡」の話も絡めつつ、、

    散逸構造が生まれる条件を社会構造に当てはめてみたらどうなるだろうとか、、

    都市への一極集中ってブラックホールみたいだなとか、、

    散逸構造が生まれるには「手放す」ことや「ちょうどいい」条件が必要かもとか、、

    熱力学用語の「散逸系」の英語はdissipativeで、対比される「保存系」はconservativeらしいから、じゃあ政治的な意味のconservative、つまり「保守」の対義語は「散逸」だと言ってみるのはどうだろうとか、、

    思考が止まらず(まだ読み終わっていないのに)ひとまず考えたことを徒然と書いてみた。

  • 重ね合わせ、もつれる世界

    万博で開催されている「エンタングル・モーメント」展、1週間ではもったいない充実した内容だった。それぞれの展示も見応えがあったが、万博という場で1週間だからこそ、大学や研究機関の本物の装置があったり、第一線の研究者の方々が法被を着て説明員をしていて質問できたりするのもよかった。

    何かと注目が集まる「量子」の世界。「粒子が同時に複数の状態に存在でき、観測すると一つに定まる」と説明されるが、その肝は「重ね合わせ(superposition)」と「量子もつれ(entanglement)」だろう。

    重ね合わせ=同時に複数の可能性をもつ

    量子もつれ=離れた粒子同士が一体のようにふるまう

    どちらも「ちょっと何言ってるかわからない」非直感的な話であるだけでなく、そもそもそんなことが「なぜ起こるのか」はまだちゃんとわかっていない。でも、確かに起こることは実験でわかってきて、そうならもうその性質を利用してしまおうと量子コンピュータなどの応用が始まっている。そんな分野だ。

    さて、万博から帰宅してたまたまテレビをつけると終戦80年企画のNスペで「シミュレーション」というドラマをやっていた。開戦前、総力戦研究所の緻密なシミュレーションの結果勝ち目がないと分かっていてなぜ日本は戦争に進んでいったのかを描いたドラマだ。

    奇しくもその日はアラスカでトランプとプーチンが会談をしていた。なぜ戦争は始まってしまうのか、始まってしまった戦争はなぜなかなか終わらせられないか、80年前の話と今が重なる。

    ドラマも見る価値あると思ったが、テレ東豊島晋作さんのYoutube「現時点での日本“最後の戦争”はなぜ評価が割れるのか?~辻田真佐憲と語る太平洋戦争と“中道”の歴史観とは」もよかった。辻田さんの右でも左でもない立ち位置に共感する。右左どちらの見方も観測の仕方による。そして、組織を主語にせずあくまで人間一人一人を主語にする。だからこそ「なぜ」はより複雑にもつれ重なり合う。

    何が正しいのか、複数の可能性が同時に存在している。思考停止せずにあらゆる可能性を保留しながら考える態度。SNSでは分断ばかりが可視化されるが、辻田さんのような中間思考、それ以外にもメタ思考、複眼思考、振り子の思考のように新しい潮流も感じるのは気のせいか。(SFでも最近はマルチバースみたいな話がよく出てきたりするのもその流れの一つ?)

    これはもしかしたら量子の世界が現れたこととあいまって、人間の思考も量子的にアップデートされるパラダイムシフトの萌芽なのかもしれない、、?などと期待するのは楽観的すぎるだろうか。

  • 田んぼ×未来 あきらめないコメ農家たち

    昨日は朝から今年も一緒に米づくりに関わる人たちと田んぼの周りの草を刈り、水路の泥を掻いて詰まっていた水の流れが復活した。

    御代田に移住して、縁あって米づくりに関わるようになって、デザインにせよテクノロジーにせよ、何かを作ったり考えたりする時の心の片隅には、常に田んぼやその周りの自然環境や関わる人たちのことがある。

    一方、米不足のニュースを見ても、出てくるのは数字ばかりで、米が出来る田んぼや、米をつくる人の営みが見えてこない。備蓄米を何トン放出したのに価格が下がらないとか、そういうことじゃないだろうと。

    昨夜Eテレで放送されたETV特集「田んぼ×未来 あきらめないコメ農家たち」は、今こそ見て考えるべき内容だと思う。

    農家の数が激減していく中、大規模な米づくりをあきらめない横田さん。人や機械はなるべく増やさず創意工夫で効率化を進めるが、今のままのやり方では限界も。いろんな「スマート農業」の実証実験に付き合いながらも実用とは言えない状況。でも感覚だけではなくデータを取って分析はしている。

    中山間地域に移住し、夫婦で小規模な米づくりを行う鴫田さん。手間をかけた安くはない米を100人の顔の見えるお客さんにきちんと意味や価値を伝えて買ってもらってなんとかという状況。加えてこうした棚田のような環境を守る「中山間地域等直接支払」という補助金が僅かあるが、去年全体の申請額が当初予算を若干超え、その分補助金を削られたという。その額2億円。国家予算として大きな額ではないその削られた2億円が発する「国はコメ農家をあきらめさせたいのか?」というメッセージを懸念する。

    「あきらめないコメ農家たち」という副題は、農家さんがあきらめたら未来がないことを示している。ルールもテクノロジーも、未来どころかいま現在あきらめずに支えてくれている人たちがあきらめないでいてくれるためのものになっていないんじゃないか。

    テクノロジーに関わる人、デザインに関わる人、ビジネスに関わる人、政策に関わる人、思想哲学に関わる人、その他領域に関係なくあらゆる人、みんなで考えないと取り返しがつかないところまで来ているんじゃないか。

    まずはとにかく土に触れたり、もしくはどんな形であれ自分たちの食べる米づくりに関わりを持ってみてはどうだろう。何よりごはんが美味しくなるし、生きている(生かされている)という実感がある。

    この番組を制作されたドキュメンタリー映画監督の柴田昌平さんは、近作映画『百姓の百の声』の続編、新作『未来にタネをまく』(仮題) を制作中。サイトから支援することが出来るので早速少額ながら支援させてもらった。

    番組はNHKプラスから。5/1(木) 午前0時(4/30深夜)から再放送もあります。

  • 2008年のエイプリルフールは現実になった

    今朝アップデートされたChatGPTのイメージ生成機能がちょっととんでもない、、まだ24時間経ってないけど、やればやるだけ予想を超えてくるというか、いろいろ試して見ても一体どこまで出来るのか、ポテンシャルの限界が見えない。ChatGPT登場時の衝撃に近いものがある。

    いろんな類似研究を吹き飛ばしてしまうだけでなく、本当にイラストやグラフィックの仕事に直接大きな影響があると感じる。凄過ぎて面白いを通り越して唖然とする。
    実はちょうど1年前にこんなことを書いた。

    どんな写真でもLEGO化してしまう画期的なソフトウェアが開発された。20世紀を代表する写真家アンリ・カルティエ・ブレッソンの名作『サン=ラザール駅裏』が見事にLEGO化されている。
    …というエイプリルフールネタを書いたのが2008年。ちなみにこれらはもちろんAIが生成したものではなく、Mike Stimpson氏による歴史的写真をレゴで再現した作品で、改めて調べてみるとWIREDでも記事になっていた。…

    1年前はまだ実現出来てなかったが、今日、もしかしてと思って「歴史的写真」で検索して出てきた坂本龍馬の写真をChatGPTに「レゴで再現して」と指示してみたら、完璧に実現してしまった。。

    すでにいろんな人がいろんなことを試していて驚くばかりだが、これからもっとたくさんの人がこの凄さに気づいてインパクトは広がるだろうし、権利的・倫理的にもたくさんの問題が起こることも間違いないだろう。

    2008年のエイプリルフールは、2025年のエイプリルフールを待たずに現実になった。

  • あと42日。

    大阪万博開催まであと42日。この2年半間違いなく一番時間をかけてきた仕事。今は最後の調整で半ば大阪に単身赴任状態。メインの展示自体はほぼ完成して、アクセシビリティ対応、オペレーション関連、グラフィック、ウェブ、撮影、取材対応、原稿チェック、内覧会、、まだまだやることはたくさん。

    いろいろ言われているのもわかるし、自分の中にも矛盾や葛藤はあるし、いっそ何にも語らないでおこうかなとすら思う時もあれば、昨日は建築の撮影に来られたフォトグラファーの方に展示を一通り見てもらって、開口一番「めっちゃいい!これは感動する!」と言われて嬉しかった。創作活動あるあるだけど、自分ではもう何百回と見てるのでいいのかわからなくなることがあって、そんな反応が嬉しくて、やっぱりできればたくさんの人に見てもらいたいなあ、発信していかないとなあと、今日はそんな気分で、1週間ぶりに御代田に戻ってきた。

    CORNER SHOP MIYOTAで御代田の集いに顔を出して、先日クラファン目標達成したみよたの広場をはじめ、御代田で活動するいろんなコミュニティの活動報告を聞きながら、こうしてローカルの活動にも引き続きつながっていきたいなあとも思ったりして。(個人的には、どこのコミュニティにも属しているような=どこにも属してないような感じでいたい 笑)

    今万博だけでなく、関わってる仕事もどれもやりがいがあるし、春が近づいて今年も米づくりもしっかりやりたいし、子どもたちの未来のことも考えたいし、本に書いたコンヴィヴィアルなテクノロジーの実践も考えてることがあるし、文章も書きたいし、運動もやりたいし、英語もやりたいし、世界情勢も気になるし、山火事も他人事ではないし、、、

    などとぐるぐると思いながら、明日から再び大阪へ。できる限りをつくす。

  • 自然を美しいと感じる限り

    北軽井沢のスウィートグラスとタキビバで5日間を過ごした「オーサーレジデンス2025」。とてもよかった。心地よさの余韻と前向きな気持ちを持ち帰らせてもらった感じがしている。

    他の8人の書き手の方々とも数日ゆっくり話せて、一方で日常から離れたひとりの時間もつくれて、あと、無限にいられるプライベート手作り露天温泉&テントサウナも最高で。

    昨日のトークセッションもよかった。

    オープニングセッションでは、北軽井沢と縁の深い谷川俊太郎さんの話から始まり、その後、「自然と言葉」「テクノロジーと言葉」「事業と言葉」という3つのセッション。それぞれのセッションがベクトルは違うけど同じ空間で呼応しあってる感じがした。

    たくさん印象に残ったことはあるが、この数日間の会話を含めた8人の書き手の皆さんのことを無理やり一言ずつまとめるなら、、

    稲葉俊郎さんの、「治す」場(医療)から「治る」場(温泉)へのシフト、目が離せない!
    内沼晋太郎さんの、B&B、バリューブックスだけじゃない活動幅広すぎ!(3時間のPodcast聴くべし!)
    内村寿之さんの、エピソードとあわせて「解凍できる言葉」づくり、共感!
    荻原貴男さんの、高崎にある抗う本屋REBEL BOOKS、必ず行きたい!
    図Yカニナさんの、「覚えていること全部書く」退行催眠日記、興味深い!
    ナカムラケンタさんの、日本仕事百貨、ここで求人したくなる&仕事見つけたくなるのわかる!
    廣畑達也さんの、経済性と社会性の両立を諦めない姿勢、見習いたい!
    山田裕嗣さんの、ソース原理や次々出てくる組織づくりの事例、取り入れたいヒントたくさん!

    という感じ。(雑ですいません…。)

    ちなみに、担当した「テクノロジーと言葉」のセッションで僕が話したかったことは、「言葉は考える手段でもあり、感じる道具でもある」という、金田一秀穂さんがどこかで言われていた言葉。都市的な(もしくは情報的な)世界にいすぎると「考える手段」としての言葉に偏りすぎるんじゃないかということ。言葉から言葉を紡ぐAIもあくまで「考える手段」としての言葉なんじゃないかということ。

    対照的に、最終日の朝、きたもっく福嶋さんが紹介しくれた谷川さんの詩は、まさに「感じる道具」としての言葉だなと思った。

    からまつの変らない実直と
    しらかばの若い思想と
    浅間の美しいわがままと
    そしてそれらすべての歌の中を
    僕の感傷が跳ねてゆく
    (その時突然の驟雨だ)

    この詩を読みながら、改めて窓の外のからまつや、しらかばや、淺間山を眺めると、感じ方が明らかに変わる。そしてその感覚は、読み手だけではなく、谷川さん自身にとってもそうだったんじゃないか。

    「自然と言葉」のセッションで稲葉さんが、温泉に入ったあと温泉成分表を見て自分の感覚との答え合わせをすると言っていたのも面白かった。ソムリエがいろんな言葉で味や香りを表現するのも同じだろう。谷川さんの詩も温泉成分表も「感じる道具」としての言葉なのだ。

    それにしても、このイベントは自然の中で数日間を過ごしながら言葉について考える、という場の設定がとても絶妙だったと思う。

    最後に、

    「自然を美しいと感じる限り、人間まだ捨てたもんじゃないと思っている。」

    という、クロージングセッションでの福嶋さんの言葉に希望をもらった。そうありたいし、そうだといいなと心から思う。

  • 言の葉の焚き火

    昨日から北軽井沢スウィートグラスで「オーサーレジデンス2025」という企画に参加している。

    真冬の北軽井沢で
    9人の書き手が灯す
    言の葉の焚き火…
    森はそよぎ山はゆれ
    月も耳をかたむける

    本の書き手や編集者が集い、今週土曜日にTAKIVIVAでのトークセッションが行われるのだが、トークセッションを前に3日間、キャンプ場のコテージで過ごすという面白い企画。

    3日間の間、特に予定らしい予定が組まれているわけではなく、思い思いに「何もしない」をする。

    トークイベントでは、普通は直前に集まって話すことも多いが、3日前から日常を少し離れ、ゆっくり考え、ゆるやかにお互いを知った上でのトークがどう展開するのか楽しみだ。

    窓の外に雪の降り積もる森を眺め、、焚き火の火を見ながら、、ん?あんまり普段と変わらない?笑

    まあまあ、でもなるべく仕事の予定も最低限にして、積読になっていた本を何冊かスーツケースに入れてきた。

    土曜日に担当するトークセッションのテーマは「テクノロジーと言葉」ということで、今回書き手として呼んでいただいた自分の単著は『コンヴィヴィアル・テクノロジー』一冊なので(まあAIの話も避けて通れないだろうとは思いつつ)もう少し広くテクノロジーと言葉について考えられたらと思う。

    とりあえず、買ったままずっと読めていなかったイヴァン・イリイチの『テクストのぶどう畑で』を読むことにする。

    1章 知へ向かう読書
    2章 秩序、記憶そして歴史
    3章 修道士の読書
    4章 ラテン語で<読書すること>
    5章 学者の読書
    6章 記録された話から思考の記録へ
    7章 書物からテクストへ

    相変わらず文体は読みづらそうだけど、タイトルと目次は面白そう。