前回からの続き。本番の動画やレポートは、プロジェクトのアーカイブにあるが、ギリギリまで調整をしながら迎えた本番の数時間は、Art for Wellbeingプロジェクトのテーマとして掲げられた「表現とケアとテクノロジーのこれから」という言葉、「表現とケアのためのテクノロジー」でもなく、「表現とケア」でも「表現とテクノロジー」でも「ケアとテクノロジー」でもないものを少し体現できたような気がした。
プロジェクトの展覧会に寄せた文章を載せておく。
昨年から関わっているこのプロジェクトは、表現とケアとテクノロジーがそれぞれ持っている可能性を持ち寄って、お互いの小さな気づきをキャッチボールしながら、それぞれの新しい可能性を探る共同研究のような取り組みだと思っています。
今年はよりそのことを意識して対話と実験を重ねる中で、佐久間新さんが踊りの中で長年扱われてきた「水」に着目しました。舞台上の演出だけでなく、水が入ったペットボトルを持って中の水の揺らぎを感じながら踊るだけでも踊りが変わるといったように、水が体を動かすための触媒として効果的に使われていたのです。そこから、触れると波紋が広がる水面のようなインスピレーションが生まれ、また音楽家の松井敬治さんにも対話に参加してもらったことで、水面に触れると音が生まれ、それが音楽になるようなアイデアも生まれました。
目指したのはゲームではなくダンス。プレイヤーではなくパフォーマーとして、勝ち負けではなく踊りたくなるようなもの。本番ではゴーグルをつけない演者も舞台で一緒に踊ったことでリアルとバーチャルの垣根がなくなり、また舞台袖からも私は水面の高さを、松井さんは音を操り一緒に参加できたこと。本番の数時間は、ようやく「テクノロジーを試してみる」という域を越えて「パフォーマンスが生まれた」手応えのようなものが少し得られたような気がしています。
技術紹介
Mixed Reality
ゴーグルをつけた複数の人がリアルでもバーチャル空間でも同じ場を共有する仕組みは昨年から踏襲しつつ、今年はゴーグルをつけても周りが見えていて現実世界とバーチャル世界が重なるMR(Mixed Reality)という技術で何ができるかを考え、それが新しい可能性の種となってアイデアが広がっていきました。
なみから生まれるダンスと音楽
コントローラを用いず、手や頭を動かしてバーチャルな水面に触れることで波紋がうまれ、そのなみがお互いに影響しあってまた体の動きを引き出します。水面は触れると波紋が広がるだけでなく楽器のように音が鳴り、その音と波紋はリフレインしながら徐々に消えていきます。複数の人がその場で同じ水面に触れ、触れる動きによって音の強弱が変わり、音程や音色もランダムに変わっていくことで、なみのダンスからその場限りの音楽が生まれます。
ライブパフォーマンス
舞台上でゴーグルをつけると見える水面の高さは、舞台袖のPCからリアルタイムに変えられるようにしました。水面の高さが高くなったり低くなったりすることで舞台上のパフォーマーの動きもまた変わっていきます。さらに、動きから生み出される音に音楽家の松井さんがその場でエフェクトをかけることで、パフォーマーと音楽家の間にも即興的なやり取りが生まれました。
そしてこの週末は、プロジェクトに誘っていただいたIAMAS小林茂さん、Qosmo徳井直生さん、東京大学筧康明さんと一緒に「表現とケアとテクノロジーのいま」と題したシンポジウムに登壇した。
僕の関わっていたプロジェクトと並行して行われていた徳井さん、筧さんのプロジェクトもどちらも非常に面白く、ケアとテクノロジーの関係についての議論も有意義だった。徳井さんが開発しているAIオーディオ・プラグインNeutoneを使って、自分の声や物音を別の音に変換することで(音楽未満、単なる音以上の何かを表す)「音・楽」をつくるというコンセプトも、誰もが関われる余白のある音や音楽との新しい付き合い方として面白かったし、僕のプロジェクトでもここまで書いてきたようにケアする/されるの一方向の関係にならないようにということを意識していたが、特に筧さんのプロジェクトでは、最後の本番直前にそれまで動いていたデバイスが動かなくなってしまうというトラブルがあり、まさにそのときにテクノロジーの側が逆にケアされるような形で乗り切ることになったというのがとても示唆的で、印象的だった。(ただ、落ち込んで今も引きずっているという筧さんの気持ちも人ごとではなく、よくわかる…)
「表現とケアとテクノロジーのこれから」にはまだまだいろいろな可能性があると感じた。そして、今年はこうしたこれまでの取り組みを広げていくことがテーマになりそうだ。