リテラシー

たまに息子と風呂に入りながら話すのが面白い。中2になってほとんど体は大人サイズになってきて家の風呂ではもはや窮屈だが、それでもスマホもネットもなく、ただ話をするしかない時間がいい。

昨夜は息子が、テスト前で勉強した方がいいのはわかっているけど、なかなかやる気が起きないと言う。

最近はVRChatでアバターや部屋をカスタマイズするためにDiscordで友だちと話しながら Unityをいじるのが難しいけど楽しいらしく、ついついもうすぐテストなのにUnityを立ち上げちゃうと。

いいなぁ、わかるなぁ。ずっとやってたいよねぇ。そういう時は好きなだけやったらいいよと言いたい気もするが、たしかにテスト期間くらいはテスト勉強やった方がいいかもなあとも思う。(というか、そもそも自分で勉強した方がいいと思ってるだけでも感心する。)

なんで勉強した方がいい気がするんだろうねぇ、でもなんでやりたくないんだろうねぇ、、と一緒に考えてみる。

いろいろ話していて、やりたいかやりたくないか、もしくは好きかと嫌いかとは別に、ラクか大変か、イージーモードかハードモードかもあるねという話になった。

やりたくないをやりたいにする、もしくは嫌いを好きにするのは、どうやったらいいかわからない感じがするけど、大変なことをラクにする、ハードモードをイージーモードにするのは、まだ少しできそうな感じがする。そうすると「やりたい/やりたくない」「ラク/大変」の組み合わせが4つ出来る。

「やりたくないし大変なこと」をやるのは到底無理な感じがするけど、「やりたくないけどラクなこと」ならまだ出来る感じがするし、「やりたいけど大変なこと」は頑張れるかもしれないけど、それが「やりたいしラクなこと」になったら最高だよねと。

学校の勉強は、大変なことがラクになるためにやるのかもしれない。じゃあ具体的には何がラクになるんだろう。一つあるとしたら他の人と分かりあえるのがラクになるんじゃないかなあ。英語が出来たら英語を話す人と分かりあうのがラクになるし、数学とか理科が出来たら理系の人と話が通じたり、地理で九州のこと知ってると九州の人と仲良くなれるかもしれないよね。

「リテラシー」ってそういうことなんじゃないかな。(ちなみに最近は学校でもリテラシーという言葉が出てくるらしく、前にリテラシーって何?と聞かれたことがある。)自分がやりたいことをやるためには必要なくても、分かりあえる人が増えると面白いし、そうしてると自分も思わぬことに興味もったり、思わぬやりたいことも見つかるかもしれない。

でもなあ、UnityでVRChatのアバターとか部屋をつくりたいってモチベーションは応援したいんだよなあ。何かつくりたいと思えるってすごいことだと思うんだよねえ。でもテスト前だしねえ、難しいねえ。

そんな結論のない会話をした。

「リテラシー(literacy)」の語源はラテン語の「literatus(文字を知っている)」という意味の言葉らしい。「リテラシー」=「読み書きできる能力」と説明されたりするが、いわゆる「日本語」「英語」のような文字通りの「文字」だけじゃなく、専門分野にはその専門分野の「文字」があるし、文化にもその文化の「文字」があり、それを知っていることが「リテラシー」なのだろう。

さらに考えると、誰かと分かりあえることと誰かに何かできることも違い、それが「コンピテンシー」=「実行する能力/行動する能力」ということになるのだろう。

このブログのタイトルで言えば、「わかる=リテラシー」と「つくる=コンピテンシー」ということになるのかな。

コンピテンシーという意味では、Unityいじり倒してる方がいいかもしれないし、とはいえリテラシーも大事だと思うし、やっぱり両方大事だなあ。