都市にひそむミエナイモノ

前夜の東京最新スポット虎ノ門ヒルズと今住んでいる長野御代田のくらしの振り子の振れ幅にややクラクラしつつ、この日は、有楽町のSusHi Tech Squareで開催中の「都市にひそむミエナイモノ展」へ。(SusHi Tech Squareってどこ?と思いながら辿りついたが昔有楽町MUJIがあった場所だった。)

作品を見ながら考えたことをメモ。

Metabolism Quantized / gluon

取り壊されてしまう「名建築」を3Dスキャンしデジタルアーカイブとして未来に残す試み。どうすれば建築・都市の記憶を残せるか。「ミエナイモノ」として例えば気配のようなものまでアーカイブできるか。残せるとして残したものをどう再体験できるか。構想の途上にあるプロトタイプだと思うが、そうした課題も見えることがプロトタイピングの意味だろう。

About their distance / セマーン・ペトラ

日本のアニメに影響を受けたハンガリー出身の作家による、いわゆる「聖地巡礼」をテーマにした映像作品。「巡礼者」たちは現実の風景を見ながらそこに作品世界も同時に見ている。現実と虚構の重なり。そもそも、作品世界だけにとどまらず、わざわざその世界を重ねるために現実の場所を訪れたくなるのはなぜだろう。

How (not) to get hit by a self-driving car / Tomo Kihara & Playfool

人間を画像認識する自動運転車のAIに対抗して、人間と認識されないように横断歩道を渡り切るゲーム。AIに勝ったとしたらそれは実際なら自動運転車にはねられているということでもある。多層的で深いコンセプトを子どもでも楽しめる完成度の高いゲームに落とし込むのが流石。

かぞくっち / 菅野創+加藤明洋+綿貫岳海

これまでも子どもとワークショップに参加させてもらったりしている人工生命ミニロボットを使ったライフゲーム的な作品。展示のたびにミニロボットの設計も洗練され、この世界の歴史みたいなものも出来てきている。人工的なフレームの中だけでなく、屋外とか自然環境の中に放ってみたらどうなるだろう。

Artificial Discourse: すばらしい新世界に向けて / Qosmo

答えのない複雑な社会問題などについて、別の人格をシミュレートした3人のAI同士が延々と議論を繰り返す。一見議論は建設的で噛み合っているようで本質的には何も進まず、ありきたりの正論を堂々めぐりする。さて、人間同士の会話や議論はどうかと考えさせられる。AIの表情やイントネーションが不気味の谷の影がちらつく絶妙な不自然さで秀逸。

あの山の裏/Tire Tracker / 藤倉麻子

今住んでいる御代田も周囲を遠く見渡すとアルプスや立山連峰などの山々に囲まれていて、かつて人はあの山の裏に何があると想像しただろうと思うことがある。都市郊外で育った作者は巨大な物流センターやショッピングモール、もしくはタイヤの痕跡といった人工物の背後を想像する。自然とはその人が生まれた時にすでにあるものであるという言葉を思い出す。

オバケ東京のためのインデックス 序章 Dual Screen Version / 佐藤朋子

岡本太郎が1960年代に掲げた「オバケ東京」という都市論と同時代に生まれたゴジラに着目し、ゴジラが破壊した「もう一つの東京」を追うレクチャー。

Parallel Tummy 2073 / 長谷川愛

「陸地・海上などの住環境を選択でき、人工子宮が可能になった未来」をテーマとした参加型ロールプレイワークショップの記録。長谷川愛さんらしいスペキュラティブなテーマ設定。

レクチャーやワークショップは参加したらとても面白いだろうと思いつつ、こうした取り組みを展示で伝える難しさも感じる。

東京藝大八谷研究室の2人の作家の特別展示もよかった。コロナで中止された花火大会を日本地図上で再現する作品と、想像上の生き物であるユニコーンを臓器なども含めてつくり「蘇生」させようとする作品。どちらもコンセプトと表現のディテールが素晴らしかった。

塚田有那さんの最後の仕事になってしまったこの展覧会は、都市=人工、田舎=自然といったステレオタイプではなく、都市の中にも、人それぞれに感じる愛着や気配や人以外の存在といった「見えないもの」を見いだそうとしている。アートとサイエンス、テクノロジーとカルチャーなど、一見異質な世界を繋ぎながらいろんなプロジェクトを手がけてきた有那さんらしいキュレーションで、それぞれの作品もとても面白くかつ考えさせられる展覧会だった。