ICCで開催中の坂本龍一トリビュート展の関連企画で、ともに坂本さんとコラボレーションしたことのある真鍋大度さんと岩井俊雄さんのアーティストトークに参加。
真鍋さんは2017年に札幌国際芸術祭で環境の中の見えないものを可視化可聴化する「Sensing Streams」という作品でのコラボレーション。僕もモエレ沼公園に見に行ったが、今回ICCではそのアップデート版が見られる。
岩井さんは1996年水戸芸術館の、今も語り継がれる伝説的なライブ 「MUSIC PLAYS IMAGES × IMAGES PLAY MUSIC」でのコラボレーション。僕は1998年頃に東大の「技術と芸術」という授業で岩井さんに出会い、その時に見たこのライブ映像や岩井さんの作品に衝撃を受けて、それがメディアアートを知りIAMASへ行くきっかけにもなり、その後もいろんな場面でお話しさせてもらって刺激を受けてきた。(IAMAS同世代のRhizomatiks真鍋さんや石橋さん含め、影響を受けた人は本当に多いと思う。)
この日は、近年自身の作品のアーカイブプロジェクトにも取り組まれている岩井さんがその中で発掘された貴重な映像などを見ながら当時を振り返る内容だった。
岩井さんと坂本さんとの出会いは偶然の繋がりとのことだったが、岩井さんは当時すでにZKMで「映像装置としてのピアノ」を制作されていたことや、坂本さんと会える機会を得た時にホテルにAMIGAを持ち込んでその場でデモをして、それが坂本さんからのオファーに繋がったという話は、出会うタイミングとチャンスを掴むための準備の大事さを改めて痛感させられる。(ちなみに「映像装置としてのピアノ」についてはYoutubeに詳しい動画がある。)
それまで本格的なライブパフォーマンスの経験はなかったという岩井さん。しかも相手はYMOで一世を風靡していた世界の坂本龍一。さらに坂本さんの拠点はNYで当時はメール頼りのやりとり。そして一夜限りで坂本さんは前日入りという、まさにぶっつけ本番である。
このライブを知っている人には今更言うまでもないが、この2時間のライブに音楽と映像の融合のアイデアが、どれもこの時代にどうやって作ったのかという完成度で、これでもかとたくさん詰まっている。それはこうした追い詰められた状況の中で、考えられる限り、できる限りの準備を、アイデアと技術の限界までとことんやり切ったからこそ生まれたのだと改めて思い知らされた。「できる限り」という言葉を普段何気なく(むしろ完璧は約束しないという意味で)使ってしまうが、ほんとうに「できる限り」を尽くすとはこういうことだよなあと、振り返って自分は「できる限り」を尽くせているかなあと自問させられた。岩井さんはいまだにライブ当日全然準備が出来てなくて焦る夢を見るらしく、ある意味トラウマになるくらいやりきったからこそこの作品がいまだに輝きを放ち続けているのだなとも思った。
もちろん、コンピュータやデジタル技術の黎明期でテクノロジーを使って出来ることも限られていたから可能性を掘り尽くすことができた、いまは出来ることがありすぎてそれが難しいといった言い方もあるが、それはきっと違う。インスタレーションにしろAIにしろXRにしろ、メディアテクノロジーの可能性を掘り尽くす道は常に開かれているはずで、自分の中に少し眠っていたそうしたことへの興味に火をつけられてしまったような気もする。
もう一つ、坂本さんが、2時間のライブを実験的な音楽に振り切ることもできたが観客の期待に応えて名曲を織り交ぜることも意識されていたという話や、一夜限りのライブを翌年きちんと興行として東京公演という形に展開した話など、エンターテイメントとアートのはざまを意識していたという話も印象的だった。これはメディアアートの文脈だけでなく大人から子どもまでを魅了する岩井さんの作品にも、その後「ウゴウゴルーガ」や「100かいだてのいえ」など、メディアアートの枠にとどまらない活動にも繋がっている。(これも言うは易しで一番難しいのだが。。)
自分をメディアアートの世界へ誘ってくれた人でもあり、30年近く経っても未だ高くそびえ立っている越えられない壁のような人でもある岩井さん。最後に「(これくらいでいいかなとブレーキをかけずに)ここまでやり切れた理由は?」という質問をさせてもらったが、岩井さんは「坂本さんに下手なものは見せられない」とその存在の大きさを挙げていた。僕もいまちょうど久しぶりに大きなインスタレーションに取り組んでいるが、「岩井さんに下手なものは見せられない」という気持ちで自分なりに「できる限り」を尽くしてみようと思う。