厭わずつくる

先日、中学生の息子と面白いゲームと面白くないゲームの違いは何かみたいな話になり、お父さんが子どもの頃にハマった「プリンス・オブ・ペルシャ」っていうゲームがあってね、、とYoutubeで見せようと思ったら、貴重なメイキング動画を見つけてしまった。

やったことがある人にしか伝わらないかもしれないが、このゲームで印象的なのは、なんと言っても主人公の妙に生々しい動きである。急にUターンした時の慌てながら方向転換する様とか、壁に手をかけてよじ登るアクションとか、いちいち生々しく、だからこそギロチントラップにかかったり、針山に刺さったり、ジャンプし損ねて落ちたりするのが怖くてドキドキしたものだが、なんと作者のJordan Mechner氏のYoutubeに、キャラクターの動きをつくるために1986年に撮影されたビデオロトスコープ(ビデオで撮影した実際の動きを一コマずつトレースしてアニメーションをつくる手法)の元動画がアップされていたのだ。PCの解像度も容量も処理能力も限られていた当時、あの動きはこんな労力をかけてつくられていたのかと驚いた。

人は制約のなかでの当たり前、ゲームでいえばその時代の「ゲームはだいたいこんなもの」という予想を超えるクリエイティビティにまれに出会うと、驚き、感動する。

もちろん、コマ撮りのクレイアニメや、手描き時代のディズニーアニメなど、映像の世界ではこうした気の遠くなるような作業の積み重ねで作られた作品は多く作られてきたと思うが、ゲームのようなプログラミングの世界では、物理シミュレーションのようにゲーム世界のルールやアルゴリズムを設定してそれに基づいてキャラクターを動かしたりすることが一般的ではないだろうか。

そもそもプログラミングは、同じことを100行書かなくてもfor文使えば一行で書けるみたいに、省力化に向くものであり、プログラマーはそんな「手間を省くための手間を惜しまない」傾向があるとも思っている。

しかし、以前美大でプログラミングを教えていた時に、そもそも100行でも1000行でも繰り返し書くことを厭わないタイプの人も一定数いることを知った。そして中にはそうした労力を厭わない膨大な作業とプログラミングを思いもよらぬ形で組み合わせて面白い作品を作る学生もいた。

例えば、(ちょっと誰の作品か忘れてしまって申し訳ないが)画面の真ん中に箱があって、その前に置かれたキーボードで「あ」で始まる単語を入れるとそのアニメーションが再生されるという作品があった。「あめ」と打つと雨が降り、「あり」と打つと箱からゾロゾロとありが出てくる、といった具合だ。その場で思いつく単語をいろいろ打ってもちゃんとアニメーションが出てくるので、これどうやったの?と聞くと、ひたすら辞書の「あ」のページを見ながらアニメーションを作ったと言っていて、これは思いついても自分には出来ないなと感心したのを覚えている。(そういえば、雑誌「広告」編集長をやっていたYOYの小野さんも、J-WAVE Takram Radioに一緒に出た時に、学生時代から「とにかく誰よりもつくる」をポリシーにしてたと言っていた。)

「プリンス・オブ・ペルシャ」のロトスコープも、ある意味そんな労を厭わない作業とゲームプログラミングの組み合わせで作られた作品だと言える。つくり始める前にどうにか手間を省く方法を考えがちな人間として、とにかく「厭わずつくる」ことの力を侮ってはいけないと改めて感じた。

ちなみに、このメイキング動画をアップしていた作者Mechner氏の個人サイトもあり、メイキング本があるのを見つけて思わず購入した。後日手元に届いた本は、たくさんのスケッチやゲームが生まれるプロセスが綴られているだけでなく、ミニマルな表紙の装丁が凝っていて、ブックデザインとしても手元に置いておきたい本だった。

https://www.instagram.com/p/C28hEkOSnVQ/

インターネットは自分から動き出してみると、こんな過去の思い出との意外な再会や新しい発見があったりするのが面白いところである。