311メモリーズ

今日は東日本大震災から13年である。

2012年に国立情報学研究所の北本朝展先生と一緒に作った震災ニュースアーカイブ「311メモリーズ」のことを、震災から5年目の3月11日に書いた記事を再編集しつつ改めて書きとめておこうと思う。(Flashで作っていたので残念ながら311メモリーズ自体は見ることができなくなってしまったが、データベース自体は今でも更新されていて、どこかで機会があれば作り直したい。。)

「311メモリーズ」は、東日本大震災に関連してマスメディアが報じたニュース記事を対象に、重要なキーワードを日ごとに10個、アルゴリズムで自動的に選び出して表示する「年表」である。

震災直後にさかのぼれば、「大地震」「計画停電」「海水注入」「メルトダウン」など、キーワードとニュースの見出しから当時の感覚が蘇り、例えば「震災」や「復興」というキーワードを選ぶと、震災の直後をピークにニュースは徐々に減っていきながら毎年3/11付近で震災を振り返るニュースが多く報道されていることがわかったりもする。

この年表の元となる情報は、北本先生の東日本大震災ニュース分析でも提供されているが、こうしたアーカイブから情報を得るには自らキーワードを入れて検索するという能動的な行動が必要になる。「311メモリーズ」では、静かに流れる年表に大量に並んだニュースキーワードを眺めることで震災の記憶に没入しながら、また時折ランダムに選ばれるキーワードとの偶然の出会いもきっかけとなって、あの日以降に起きたさまざまな出来事が頭の中によみがえってくる。

音楽は松井敬治さん。当時、松井さんのスタジオの一部を間借りしていて、今でもいくつもの仕事でご一緒させていただいている。震災の直後に作られ、演奏された曲。今でもこの曲を聴くとあの時の空気が蘇ってくる気がする。当時の松井さんのブログからメッセージを紹介したい。

あれから、1年と半年が過ぎました。長い春と夏、そして秋冬を越し、2012年を迎え、そしてまた夏が終わろうとしています。

東京に暮らしている僕にとってさえ、あの日を境にして、僕から見える世界は、全く様相を変えました。あの頃の記憶をたぐるには、一日一日が、重く長く、どの出来事がどの日だったのかは、混沌としています。このサイトを眺めることで、その中の、いくつかがまた繋がることもあります。また、僕の内側から見ていたあの時の日本とは別に、外の世界、ニュースとなった出来事が並列に流れ今知る事も多くあります。そのひとつひとつの出来事にもそれぞれに、人生があり、そして今も、それぞれの今が、現れては消えてゆく。まさしく諸行無常を、このサイトは表現しているかのようでもあります。

話はそれますが、記憶というものは、すこしずつどこかへ消えてしまいますが、自分の意思とは別にどこかの隅っこ隠れていて、ある日ひょっこりと出て来ることがあります。言葉に出来なくとも、その肌触りや、匂い、なんとも言えない感覚が蘇ることがあります。文字にすることの出来る記憶は数少なくなるけれど、そういう感覚のような記憶は体に染み入っているのかもしれません。他界した友人や親類を思う時、そういう感覚を、心の中に生きていている、と表現するのかもしれないですね。

最後に、この曲について。3.11の直後に、ピアノに向かい、ただ心に浮かぶ音をピアノに写し取ったものです。メモのつもりでしたので、録音もマイクを適当に立てただけ。演奏も、なんとなく頼りなげで、危うい。ですが、その後、練習して弾き直してみたのですが、あの空気を再び録ることは出来ませんでした。僕が、あの瞬間に何を思っていたかは、もう思い出せませんが、あの春の桜を思い出します。これがあの時の自分の真実のように感じます。

今も悲しみの中にいる人のことを思う時、その悲しみは時間が経てども、決して癒えることのないものだと思いますが、少しづつでも、安らぎが広がり悲しみを包むことを、ただ、祈るばかりです。

震災直後の感覚。その1年半後の感覚。こうしたメッセージを読み返すこともその時々の感覚を思い出すきっかけになる。

そして何より今年は能登半島地震。まだまだ復旧も復興もこれから。東日本大震災とはまた違う大変な状況。改めていまできることを少しずつやりながら、こうした記憶を残していくこともいずれ出来たらと思う。