自然を美しいと感じる限り

北軽井沢のスウィートグラスとタキビバで5日間を過ごした「オーサーレジデンス2025」。とてもよかった。心地よさの余韻と前向きな気持ちを持ち帰らせてもらった感じがしている。

他の8人の書き手の方々とも数日ゆっくり話せて、一方で日常から離れたひとりの時間もつくれて、あと、無限にいられるプライベート手作り露天温泉&テントサウナも最高で。

昨日のトークセッションもよかった。

オープニングセッションでは、北軽井沢と縁の深い谷川俊太郎さんの話から始まり、その後、「自然と言葉」「テクノロジーと言葉」「事業と言葉」という3つのセッション。それぞれのセッションがベクトルは違うけど同じ空間で呼応しあってる感じがした。

たくさん印象に残ったことはあるが、この数日間の会話を含めた8人の書き手の皆さんのことを無理やり一言ずつまとめるなら、、

稲葉俊郎さんの、「治す」場(医療)から「治る」場(温泉)へのシフト、目が離せない!
内沼晋太郎さんの、B&B、バリューブックスだけじゃない活動幅広すぎ!(3時間のPodcast聴くべし!)
内村寿之さんの、エピソードとあわせて「解凍できる言葉」づくり、共感!
荻原貴男さんの、高崎にある抗う本屋REBEL BOOKS、必ず行きたい!
図Yカニナさんの、「覚えていること全部書く」退行催眠日記、興味深い!
ナカムラケンタさんの、日本仕事百貨、ここで求人したくなる&仕事見つけたくなるのわかる!
廣畑達也さんの、経済性と社会性の両立を諦めない姿勢、見習いたい!
山田裕嗣さんの、ソース原理や次々出てくる組織づくりの事例、取り入れたいヒントたくさん!

という感じ。(雑ですいません…。)

ちなみに、担当した「テクノロジーと言葉」のセッションで僕が話したかったことは、「言葉は考える手段でもあり、感じる道具でもある」という、金田一秀穂さんがどこかで言われていた言葉。都市的な(もしくは情報的な)世界にいすぎると「考える手段」としての言葉に偏りすぎるんじゃないかということ。言葉から言葉を紡ぐAIもあくまで「考える手段」としての言葉なんじゃないかということ。

対照的に、最終日の朝、きたもっく福嶋さんが紹介しくれた谷川さんの詩は、まさに「感じる道具」としての言葉だなと思った。

からまつの変らない実直と
しらかばの若い思想と
浅間の美しいわがままと
そしてそれらすべての歌の中を
僕の感傷が跳ねてゆく
(その時突然の驟雨だ)

この詩を読みながら、改めて窓の外のからまつや、しらかばや、淺間山を眺めると、感じ方が明らかに変わる。そしてその感覚は、読み手だけではなく、谷川さん自身にとってもそうだったんじゃないか。

「自然と言葉」のセッションで稲葉さんが、温泉に入ったあと温泉成分表を見て自分の感覚との答え合わせをすると言っていたのも面白かった。ソムリエがいろんな言葉で味や香りを表現するのも同じだろう。谷川さんの詩も温泉成分表も「感じる道具」としての言葉なのだ。

それにしても、このイベントは自然の中で数日間を過ごしながら言葉について考える、という場の設定がとても絶妙だったと思う。

最後に、

「自然を美しいと感じる限り、人間まだ捨てたもんじゃないと思っている。」

という、クロージングセッションでの福嶋さんの言葉に希望をもらった。そうありたいし、そうだといいなと心から思う。